40代無職のブログ

40代無職が綴るブログです。

自分の家の貧困

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 今回は介護を目前にした無職男が「我が家の貧困」について書いてみたいと思います。

 

「貧困」とは言っても私の家は一般的なところの中流家庭で、兄と私は大学を卒業していますし、現在も千葉で一軒家を構え、軽自動車を所有し、年金だけで生活ができるほどの生活水準です。

 しかし、家は築50年を超えた家はボロボロ、兄は派遣社員、弟の私は無職でどちらも独身という典型的な「負け組一家」となりつつあります。

 

 これは私(と兄)の不甲斐なさもあるんですが、振り返ってみると、今の状況に陥りやすい環境ではあったとも思います。

 

 父は戦時中の生まれの地方出身者、7人兄妹の7番目です。

 高卒で仕事を転々としながら、関東で自衛隊に就職。

 結婚を期に転職(母が自衛隊を嫌がったそうです)をして、警備業で定年まで勤め上げ、それ以後は後期高齢者になるまでスーパーの警備員のアルバイトをしていました。

 

 いわゆる、普通のサラリーマンだった高齢者です。

 

 そして、その息子二人も普通でした。

 物凄い優秀というわけでもなく、特別に頭が悪いわけでもない普通。私の中学の成績はクラスで40人中10番目くらいだった記憶があります。

 並レベルの私立文系の大学を卒業し、普通の就職を……できなかったんです。

 卒業当時は就職氷河期で、普通で要領の悪い私は新卒で就職できず、友人を頼って上京。アルバイトでなんとか自立して、正社員に登用されたのが25歳の頃です。

 そこから40歳までは真面目に働いていたのですが、後期高齢者になった父親の骨折を機に退職、千葉に戻ってきました。

 

 ここで私は真剣に家族と向き合うことになったのです。

 

 私の父親は地方出身者ゆえ、息子達にコネクションや金銭的なアドバンテージを与えることはできませんでした。

 母親は祖父母についてきて千葉に住み着いた、それなりに新興の住民の専業主婦でした。

 また、父は高度経済成長が生み出した職業についた人間であったため、家業というものもありません。

 団地住まいだった両親は1980年代半ばに祖父母の死去で空き家になった住居に引っ越し、現在に至ります。

 多分、彼らがアップデートを止めたのはここらへんでしょう。

「普通」に日々を過ごしてしまったんです。

 父親はパチンコ好きで自分の会社員時代から自由になる金銭はすべてパチンコに注ぎ込み、母は隣近所とのトラブルに神経をやられて引きこもる日々だったようです。

 

 祖父母が建てて50年を超えた家は、一度もリフォームされず、不具合が出る度に修繕をしてしのいでいます。

 2階建て6LDKのその家のあらゆる部屋にはガラクタがうず高く詰まっているのです。

 ゴミ屋敷というほどではないものの、ほとんどの部屋の居住スペースの半分以上を「何か」が占めています。

 廊下にもテレビ台を改造した新聞入れや、雑誌の束、何十年も鳴らしたことのない大型のレコードプレイヤーが並びます。

 

 家を15年以上も空けていた私は、既に他所者に近い状態になっており、大幅な整理整頓の必要性を話しても聞く耳をもってくれません。

 

 そのうちに母がそのガラクタに足を引っ掛けて骨折しました。

 3ヶ月以上も入院して、介護度までついて帰ってきました。

 ここで家の片付けの必要性について漸く理解をしめすようになり、回復してきた母は片付けをはじめます。

 押入れの中のいらないものから捨てることにしたようです。

 

 結果、押し入れから出されたガラクタが居住スペースをさらに侵食し、前よりも酷くなりました。

 私は実家からほど近いところにアパートを借りて生活しているのですが、この狭いアパートのほうが生活スペースが広いくらいだと思います。

 

 両親は物のない時代に生まれた人間ゆえに「捨てること」が上手くないのです。

 また、先祖代々の家というわけでもないので「次の代が住めるようにリフォーム・改築する」という発想もなかったのです。

 父親がパチンコ好きなのでそれほどの貯金もありません。

 両親だけの自立した生活というのは、実は破綻寸前なのですが、それすら気づいていません。(あるいは気づかないふりをしています)

 

 80年代は間違いなく「普通の中流家庭」だった我が家は、2018年現在は非常に歪な形になってしまいました。

 なぜ、このようなことになったのか?

 私はずっと疑問でした、私だけが不甲斐ないのか? 

 それとも、精神を病んだ母親がいけないのか?

 もしくは、ギャンブルに金銭を注ぎ込み続ける父がいけないのか?

 

 この疑問は「ヒルビリー・エレジー」という本を読んだ時にやっと解けることになります。

 この本ではアメリカのホワイト・トラッシュが抱える貧困について著者の経験をもとに詳しく書かれていて、経済的な貧困を好景気で抜け出した人たちが持っていた「苦しみ」について印象的な記述がありました。

 

 祖母は、アパラチアの貧しさから逃げ出したと思ったのに、貧困はやはり追いかけてきた。経済的貧困からは抜け出せたとしても、感情的な貧困は、いつまでもつきまとう。
(第9章 私を変えた祖母との3年間より)

 

 私の家族は経済的な貧困ではなかったものの、少量の感情的な貧困は常にありました。

 家庭内不和で母親から常に父親の悪口を聞いていましたし、ヒステリックな母親の逆鱗に触れないように常に怯えて生活していました。

 ただ、それはその時代、そのコミュニティにおいてはなんら特別なことではなく「普通」でした。

 

 そして、高度経済成長の波でかろうじて中流家庭になった「普通な私たち家族」に当然のように中流の没落がやってきただけなのです。

 地方の貧農の出身である父親には息子たちにあげられるアドバンテージはありません。

 

 私か兄がもう少し優秀だったなら、中流の没落の波から回避して一財産築くなり、幸せな新たな家庭を作るなりしていたかもしれません。

 

 しかし、現実はそうはなりませんでした。

 

 二人とも、当時としては普通に激務なブラック企業(私は25歳で入った会社)に入社することになり、しばらく働いた後に同じように身体を壊してしまいます。

 

 結果として、低収入(※私は無職)の息子二人と老いて頑固な老人二人という家族できたわけです。

 

 多分、貧農出身の父親の背後にはずっと「貧困」が追いかけてきていたのでしょう。

 これは世代を超えて追いかけてくる亡霊のようなもので、父親が引退してからは私と兄を追いかけていたのです。

 長いこと気づきませんでしたが。

 

 新たな家族を作れなかった私は、この貧困の横でたった1人で朽ちていく可能性が高いのでしょう。

 

 こうやって自分と家族の貧困と向き合ってみると、半分は私のせいであり、半分は私のせいじゃない、ということでいいんじゃないか? と思ってしまいます。

 

 だって、田舎の貧農の末っ子の息子が優秀なわけないじゃないですか。

 優秀でない上に、金銭的かつ地縁血縁的なアドバンテージもない、おまけに遺伝的なものなのか生来の虚弱体質で内分泌系の持病まである。

 無理ゲーですよ。

 

 でも、私以上に無理ゲーな人生でもきっちりやって「追いかけてくる貧困」から逃げ切っている友人もいるわけで、その点でも悩むわけですよ。

 私の人生は不利な世代、不利な境遇ではあるものの最悪からは程遠いんです

 

 絶望せずにやっていくしかない、とわかってはいます。

 しかし、もうちょっと何とかならなかったのかなあ、と振り返る度に思ってしまいます。

 

 これを読んでいる四〇代の方、あなたはどうですか?